しましまの夢

ダンスフロアに一貫の寿司

理解しなくても愛せるじゃないですか

最近「わかって欲しい」「理解」みたいなワードがすごい入ってきて、忘れかけてたものを思い出して、なんか久しぶりの友人との再会みたいな嬉しさがありました。

 

理解について、理解しなくても愛せるじゃないですかが私の結論なんです。

そもそも自他がある以上わかろうとしたら絶対わからないになっちゃうんですよね。もちろん自分と似た性質があったり、結構な時間をかければ理解も出来るけど、それって一部でしかなくて、全部でも全員でもない。

じゃあ人間は理解し合う事のできない寂しい生き物なのか?と言ったらそうではないと思ってて、理解できないことが一緒に居る理由なのだと思うのです。わからないから、一緒に食べる食事や一緒に見るテレビや音楽、景色が尊い。同じものを見て同じ感想になるとは限らなくても、そんなふうに思うんだ、とかそうなんだ、って言う、それを繰り返していくのは、すごく「愛」っぽいんじゃないかなって。