しましまの夢

ダンスフロアに一貫の寿司

生まれた町のこと

私は都内のいわゆる下町に生まれた。

隅田川の向こうは浅草、料亭街と長屋の残る古い町。

小学生になる頃にはなくなってしまったけど、家の近くに疲れた商店街があり、今にも落ちてきそうアーケードが残っていて私はそれが大好きだった。

 

結婚して実家に戻った母曰く「ここの人は結婚してみんな戻ってくるから鮭みたい」と云う。私の同級生の両親が母親の同級生だなんて珍しくもなくて、当時は言葉があったかはわからないけど核家族とは無縁な、祖父母が同居して、近所には同級生が住んでいる。近所付き合いも頻繁で、みんな噂話も大好き、おばあちゃんは季節ごとに手料理を近所の人にすそ分け、しばしば近所のおばさんの作ったおかずが食卓に並んだ。

 

ここで時代の話をしよう。日本には高度経済成長期というものがあり急速に豊かになり、そしてあっさりとバッサリと幕を引いた。その頃私は生まれた。子供の私は社会の都合も親の都合も全くわかってはいなかったけど、なんとなく重い空気が町中を満たしていた事は感じていた。具体的には、嫌な大人が多かった。

 

遊んでいるとおじさん達が暇そうにしていて反対におばさんはあまり見かけなかった。それは、今から考えれば商店街の残る自営業が多いで町で不景気になってたという事だったのだと思う。みんな嫌な大人にならざるを得なかったのである。

 

今より家父長制の色濃い時代に祖父母同居の家庭で、父親の稼ぎが無くなる、最悪職を失う、借金を背負う、どれほど恐ろしい事だっただろう。そんな悲劇が珍しくもなかった時代、ノスタルジックな街並みの路地裏で野良猫を追いかけ回しながら私は育った。

夜明け

そうか、不幸をみんなで分け合う事でしか救われる事はないんだね。だから私たちは抱える痛みや悲しみや怒りを軽くしていかなくちゃいけないし、分け与えなければいけないし、分け与えられなければならないんだね。

2008 - 2023

空の青が頭の上に落ちてきた日、

あの日ほど景色が美しく見える日は来ないと思っていた。

 

今でも夕焼けの空に思わず声を漏らす、お腹のところがぎゅっとして目が潤む。

私の居る世界は暗くも寒くも狭くもない。

あの日の願いを私は今も、これからも、叶え続けていく。